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ヤフオク!で古い東京の絵はがきを何セットも入手したので、アップする。

 下の9枚の絵はがきは、販売時の袋(たとう)に入っていなかったので、いつの時代のものか判別する手がかりがなかった。しかし、取り上げられた風景・建物などから1960年代前半ではないかと思われる。

絵ハガキの説明


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 東京観光図には東京タワーは描かれていない。今(2020年)では、取り上げないだろう(関東大震災の)メモリアルホール(東京都復興記念館)やニコライ堂、泉岳寺、外苑絵画館、勝鬨橋などが描かれている。

 ヤフオク!で落札した「今日の東京」という絵はがきである。畳紙(たとうがみ)に入っていず、やや古めのポリの袋に入っていた。だから、これが一式なのかは分からない。ただ、いずれも同じ形式で、切手を貼る場所には地球儀の絵と”SYOBIDO"の文字が書かれている。地球印の東京名所絵葉書と記載のある「東京観光図」も含まれていた。
 いつ発行された物かは分からないが、説明文の漢字が旧字であり、東京タワーが含まれていないことから、1958年(昭和33年)よりも前に作られた物であろう。私は1955年(昭和30年)に小学校に入学したのだが、旧字は習ったことがないし、新聞・雑誌などで見た記憶がない。だからそれ以前ということになるだろう。「空からの東京」を見ると大きなビルは見受けられず、説明には ”首都東京は・・・人口七百五十万(昭和二十九年一月)・・・”、と書かれているので、昭和30年前後の作成、発行と思われる。
 すべて同じ時期に撮影された物ではないだろうが、東京駅の丸の内口でさえ余り自動車が見受けられない。歌舞伎座前の晴海通りには都電の線路らしいものも見受けられる。浅草仲見世入り口あたりの女性たちのかなりは和服である(このサイトの”東京(1)”と同じ絵柄も見受けられるので、一部は古いものを使いまわしている可能性がある)
 「皇居二重橋」の説明には、”宮城”なる今ではほとんど使わなくなった単語が使われている。私世代には懐かしい。「勝鬨橋」は1日3回開閉されると書かれている。ウィキが正しいかどうか分からないが、設置当初から1953年(昭和28年)頃までは1日5回の頻度で開閉していた、とあるので、昭和29年の作成と考えるのが妥当だろう。

筆者のコメント

勝鬨橋:勝鬨橋を初めて訪れたのは1958年(昭和33年)ではなかったかと思う。多分兄の臨海学校に母が付いて行ってしまったので、父が東京に仕事に出るついでに私を連れて歩いた時ではなかった、かと思う。しばらくは、橋から湾の方を見たような気がするが、開いたところを見た記憶はない。

 

後楽園野球場:説明には「後楽園野球場」と書かれている。私らの世代は「後楽園球場」と読んでいた。今は「東京ドーム球場」である。

 

歌舞伎座:第二次世界大戦時、戦災にあい、廃墟となった建物を1951年(昭和26年)に建て替えた物で、2013年(平成25年)に今のビルになるまで62年間活躍した懐かしい建物である。私は、1991年から数年間、東銀座の本社まで通勤したので飽きるほど見た建物である。余談だが、降りる駅は都営浅草線の東銀座だったので、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件に遭遇した。改札を出ると営団地下鉄(当時)日比谷線の改札あたり騒がしかった。隣の築地駅はパニックだったらしいことを後で知った。

 

東京駅:今は懐かしいと感じられる駅舎。これはこれで素晴らしいと思う